「古代日本」誕生の謎に迫る

好きだからついついこういう本を読んでしまう。

「古代日本」誕生の謎―大和朝廷から統一国家へ (PHP文庫)
PHP研究所
武光 誠

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大和朝廷が古代日本を ...
日本という国のはじま ...

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残念なことに、考古学に関しては、趣味レベルの知識しか持ち合わせていないもので、こういう本を読んでも、どれほど記述に信憑性があるものか、私には判断ができない。
確かに筋は通っているし、読んでいて面白かったのだが。
でも、考古学の世界だから、本書の記述をひっくり返すような大発見が今日にもあるかも知れない。
実際に、古墳の築造年代など、この数年の間に通説がひっくり返されており、本書も、多少は「古い本」の部類になってしまっている。

正直なところ、敢えてフィクションだと思って読んでいて、面白いなと思っていた部分も多々あった。

さて、大和朝廷というか、日本の天皇制の何といっても不思議なところは、天皇直属の軍隊というものが無かったというところである(とは、この本には書かれていない。あくまで私が個人的に不思議だと思っているところ)。
古代日本では豪族同士が勢力争いをするのだが、その中心たる天皇あるいは大王に直属軍というものが存在していない。
なぜ、軍事力を持たない天皇(大王)が社会のトップに君臨するのか?

その答えは、はっきりとは本書には書かれていない。
大王およびその周囲の人々(あえて軍隊とは書かない)には優れた工作技術があったから、武力で周囲の豪族を制圧する必要がなかったというようなことが遠回しに書かれている。
それはそれでいいのだが、ではなぜ、武力で他の豪族に制圧されなかったのか? その疑問が十分に解消されているとは言えないのだ。

もう一つ。邪馬台国論争についても。
本書では邪馬台国九州説を採り、邪馬台国とは別にほぼ同時期に大和に古代王朝があったとする説を採っている。ついでに、出雲にも、吉備にも王朝があったことになっている。
最近の考古学の成果を見ても、間違いなく、魏志倭人伝の時代に、既に大和地方にはそれなりの規模の王朝があったといえる。
私の目下の疑問、特に邪馬台国九州説についての疑問は、魏志倭人伝に、なぜ、出雲や吉備、大和が出てこないのか。その点だ。
邪馬台国よりも強力な出雲や大和をなぜ、わざわざ魏志倭人伝は隠す必要があったのか。
魏の使者は九州までしか行かなかったので、それより東のことは何も知りませんでしたというような安直な結論でいいのだろうか?

かと言って、邪馬台国大和説を採るには、今度は大和地方の歴史が古すぎる(と私は思っている)。

魏志倭人伝に、敢えて大和を載せない理由が見つかったなら、邪馬台国は九州で確定だろう。
そうでなければ、やはり魏志倭人伝で○○国と書かれているいずれかに、出雲なり、大和なりがあてはまり、邪馬台国は、どこかもっと、意外なところにあったのではないだろうか。
今で言う群馬とか、栃木あたりかも知れない。
邪馬台国ではかんぴょうがたくさん採れるというような史料が見つかれば、もう邪馬台国は栃木で決定だ。

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この記事へのコメント

2009年08月05日 01:42
天皇は古代から祭祀を司る王だったのではないかと思っています。
そのため、直属の軍隊というものは明治まで持つ必要がなかったのではないかと思います。
kazuyoshikakihara
2009年08月06日 06:35
さすがに桃源児さんは、そのあたり詳しいですよね。
しかし、どのような社会背景があれば「祭祀を司る王(ただし軍隊なし)」が世襲で成立するのか、といった難しい問題が残ります。
大きな戦乱があると、中国のように皇帝の座は簡単に奪われてしまいます。単に「一番偉い神主さん」という位置づけなら世襲というわけにもいきません。日本人は気に入らなければ神様すら捨てる(別の神様を拝む)国民性を持っているのですから。

現代の視点から見ると、「祭祀を司る王」で間違いはないのでしょうけれど、卑弥呼、台与にしても、天皇家にしても、なぜそのような「祭祀だけで支配する」存在が生まれてきたのか。それが、私の興味をそそるのですよ。

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