めだかの学校のほうから来ました
帰省中にこんなことがあった。
客人が来た。
喜んだ父親が大いに酒を飲んで酔っ払った。
そして、ご機嫌になって、ハーモニカを持ち出してきた。
それを私が制止した。
なぜなら、父の十八番は「めだかの学校」だったからだ。
人が集まったところでハーモニカで「めだかの学校」を演奏したりしたら、JASRAC の方から人が集金に来るかも知れない。
お金の額は大したことないかも知れないけれど、そんな人がいきなり来たりしたら興ざめだ。
と言って、父親を引き止める私のほうがよっぽど興ざめなのであった。
ちなみに Wikipedia で調べたところ、「めだかの学校」の作曲者の中田喜直氏は2000年に亡くなっている。
どうやら、父親の生きている間に、自由に「めだかの学校」をハーモニカで演奏できる日は来そうにない。
父よ、もう「めだかの学校」はあきらめて、そのハーモニカに似合う曲を、自ら作り出してくれ。
誰にも気兼ねなく演奏できる曲を。
客人が来た。
喜んだ父親が大いに酒を飲んで酔っ払った。
そして、ご機嫌になって、ハーモニカを持ち出してきた。
それを私が制止した。
なぜなら、父の十八番は「めだかの学校」だったからだ。
人が集まったところでハーモニカで「めだかの学校」を演奏したりしたら、JASRAC の方から人が集金に来るかも知れない。
お金の額は大したことないかも知れないけれど、そんな人がいきなり来たりしたら興ざめだ。
と言って、父親を引き止める私のほうがよっぽど興ざめなのであった。
ちなみに Wikipedia で調べたところ、「めだかの学校」の作曲者の中田喜直氏は2000年に亡くなっている。
どうやら、父親の生きている間に、自由に「めだかの学校」をハーモニカで演奏できる日は来そうにない。
父よ、もう「めだかの学校」はあきらめて、そのハーモニカに似合う曲を、自ら作り出してくれ。
誰にも気兼ねなく演奏できる曲を。
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