本人確認のために...名前ではいけない理由

スラドに「求人担当者の5分の1は、応募者のネット上での活動をチェックしている」という記事が出ていた。そこに「本人確認できるのか?」という興味深いコメントがあった。ネット上では、同姓同名がいくらでも見つかるというのがその根拠。
日頃、名簿を扱っている私も、これで頭を痛めている。ネットに限らず、本人確認というのは、困難な作業だ。

日常会話では、名前がキーになることが多い。
が、実際のところ、名簿やネット上で人を特定するのに、人名ではいささかの問題がある。

先に出た「同姓同名」の問題がある。
クレジットカードの審査などではこの対策として、名前と生年月日、住所の一部などを組み合わせているようだが、日本の場合、似た姓が同じ地域に分布する傾向があるので、件数が増えてくるとこれもうまくいかないようである。

また、名前が変わってしまう人もいる。名前がよく変わる時代になったこともあり、「旧姓」だけを管理していれば済む問題でもなくなってきた。また、法制度上は、姓だけでなく、名が変わることもありうる。

さらに、「表記のぶれ」の問題も見過ごせない。
文字コードの問題がある以上、あるときは「竜之介」だった人がまたあるときは「龍之介」だったりすることはよくある。特に「ハシゴ高」や「タツ崎」の場合などは。
ややこしいことに、フリガナのほうにもぶれが存在する。あるときは「しらい」さんだった「白井」さんが、また別の場面では「しろい」さんだったりする。そんなこと有り得ないと思われるかも知れないが、名前は必ずしも本人が書くとは限らないのである。例えば、会社で人事部の人がよくよく確認せずに「白井」に「しろい」というフリガナを振ってしまうことなどはよくある。
また、過去のデータを整理する際に便宜上フリガナを振らなくてはならなくなってしまい、面倒だからといって kakasi で勝手に読みを作り出してしまう、私のような人間もいる。

というわけで、同じ人に違う名前がついたり、違う人に名前がついたりするので、名前は本人確認の一材料になりこそすれ、決定打にはなりえないのだ。
名前に込められた親の思いを考えると切なくなったりするが、現実問題として、名前はその人の「アイデンティティ」にはならない。


何だか話が長くなりそうなので、今日はここで休憩。
「本人確認」というと、データに記録されている名前なり番号なりでその人を特定できるかどうかという問題と、その特定された人物が間違いなく本物なのかという問題の2つをクリアしなければならない。
「その人を特定する」だけで、とても1記事では語りつくせないだけの問題があるわけだ。

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