DRMについての私の見解

電子出版の話題ついでに、DRMについての私の考え方をまとめておく。
私が望むのは、著作者が安心して著作物を公開できる世の中だ。

DRMなどなくても、世界中の人がみな良心的で、著作者が「これは家庭内の複製だけにとどめてください」といえば、皆それを守ってくれるというのならば、DRMなど必要ないし、そんな世の中になってほしいものだとは思っている。

しかし、現実の世界にはやはり看過し難い問題がある。
DRM付商品の複製方法の相談を受けたことは一度や二度ではない。

著作物を著作者が意図どおりにコントロールする方法として考えられるのは

  • あらゆる著作物に「こう使ってください」という説明書きを添える

  • 一律規制という形になるが「法律を作る」

  • デジタル商品に限られるが、DRMでコントロールする


といったところだ。

「こう使ってください」方式は、理想論であり、非現実的ではあるのだが、最近はクリエイティブ・コモンズのような取り組みもあるので、もしかしたら、そういった雰囲気が世界的に醸成されてくるかもしれない。少なくとも、全否定はしない。ただ、今現在においては、事実上意味をなさないだろう。

「法律を作る」方式は、国単位でしか効力がなく、また、一律規制になるので、著作者にとっても利用者にとっても不便なところがある。法律違反しているのが、もしも大口の顧客だったりしたら、著作者(著作権者)は告発などできるはずがないという問題もある。法律が細かくなりすぎるとユーザー側もびくびくしながら本を読んだり音楽を聴いたりしなければならなくなり、そもそも何のための法律かわからなくなってしまう。すべての交差点に信号機のある街が本当に便利・安全だろうか?

DRMは、今のところ、理想の技術が開発されていないというのが問題だろうか。著作者にとってもユーザーにとっても、やはりどこか不便な技術しか、今のところは存在していない。

で、私としてはDRMに賭けたいわけだ。
「こう使ってください」はあまりに理想的すぎる。法律で縛るのは不便すぎる。
それに対してDRMは進化の余地が多分にある。
ユーザーが不便を感じず、著作者も容易に利用できる、理想のDRMを実現するため、今日の「不便なDRM」は貴重な踏み台だと思っている。

問題は、その「不便さ」に見合うコストを誰が負担するかだ。
以前あったCCCD(コピーコントロールCD)は、「不便さの代償」を完全にユーザーに押し付ける代物だった。値段が他のCDと違わなかったのだから。そして案の定、失敗した。他のCDよりも安ければ状況は違ったのではないかと、私は今でも思っている。
iTunesミュージックストアなどでは、逆に「不便さの代償」を著作権者側が負担している事例も見られる(DRM付とDRMなしが同じ値段・・・結果としてそうなっただけで、そこに至る道程は複雑だ)。
私は、不便コストは著作者側が負担しないと、著作物が広くいきわたることはないと考えている。不便コストをユーザーに負担してもらおうとしてもユーザーには「そもそも買わない」という選択肢が残されている。
つまり現実的には、著作権者がDRMにかかるコストを上回る収益をあげられる電子著作物しか公開されえないということだ。
DRMは音楽や映像の分野では実用化が進んでいるようだが、昨日のエントリにも書いたとおり、出版の分野では状況がかなり厳しい。電子出版に関してはDRMは高コストだ。もしかしたら、売り物としての電子出版は今後なくなっていくかも知れないとさえ思う。
電子出版に適したまっとうなDRMが開発されなければ、世の中に残るのは「無料の電子著作物」と「やけに高価な書籍(安直な著作物は無料の電子著作物に食われて消滅するため)」だけになってしまうかも知れない。本来は一番大衆的価値があるはずの、真ん中の部分がなくなるので、これは社会的損失だと思うのだが。

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